2013年12月25日水曜日

1 more music



「小さな男のこが「おれ」と言い出すときがある。
...
少年のささやかだけれど、思い切った跳躍がある。」
- 糸井重里「あたまのなかにある公園(ほぼ日刊イトイ新聞、2010), p.105」


Lyrics to Give Me The Love :


Give me the love I'd have,
for all my enemies
Give me the love I'd have,
for those I cannot please


Give me the love that knows
all the love there is
Give me the love that knows
all that love can give


That's all I ask of you
That's all I need from you
That's all I ask of you


From the sin that separates,
and from the doubts
That have plagued my coming
in and going out
May there be a bed of mercy,
to lay my anger down
To fill the emptiness,
where there is no sound


That's all I ask of you...






2013年11月11日月曜日

共感百景 赤坂草月ホール


盗撮してます、怒られそうですが。。
「共感百景」でした。
知る人ぞ知る連載企画イベント、「共感百景」

本当にすごいイベントです。「共感百景」ということばもすごいですが、
現場は静かに壮絶です、ぜんぶ即興ですから。

お題に出演者はことば/一句を人生の一頁から書き、読み、即興で共感をその場に添えていきます。
(もちろん時々滑ります)

つまり、
色紙に手書きで書いて、書いた人が詠み手として自身の一句を読んで解説する、持ち時間1-5分×4。
即興で、共感をしなーっと、一瞬でずばっ!って。現場は壮絶ですが、笑顔に包まれています。

わたしが、最も共感するのは、
きょうの場だけでなく、常にそのおちゃらけ=遊びの場へのリスペクトがきょうの出演者のみなさんにあることだ、と見ている私たちに感じさせることだと思います。
そのおちゃらけ=遊びの場に、チケットを買って見に来はる人へのリスペクトも美しい。
一線級のひとたちはやっぱり違います。
本物っていいなぁ。

「日常のささやかな奇跡をことばで伝えること」へのリスペクトが美しい、 そういうほんとうは気づかないけれど、其処此処にある「遊び場」や「日頃の楽しい気持ちへの憧憬」を伝えることへの意思が美しい、

どうしたら、この面白くない世の中をおもしろくできるやろうか、って、そういう純粋な気持ちをこの「共感百景」に教えられます。

また行きたい。

2013年10月27日日曜日

ドアーズ 紙屋悦子の青春



「私の感じる良い作品とは、その人だけが持つ奥深く、裏を持った人物が登場するのです」。
- 福沢富夫


中野にある小劇場HOPEでセミフィナルにあたる、本日、
誘われるままに、ドアーズ主催の「紙屋悦子の青春」(作 松田正隆/ 演出 福沢富夫)へ行きました。

劇団民藝はほんとすごかったんですよ、ほんものばっかり、怖い怖い。
なぜなら、ごまかしがきかない舞台だからでしょうか、
技術習得の為の長い時間を費やすだけでなく、強烈な精神負荷がかかる訓練、
努力しても努力しても届かない場所へ、そのゴールが見えなくとも弛まぬ努力の強制と自発行為の繰り返し、
わたしはこれしかできないんです、が通じない場と時間。
わたしがんばってます、が通じない場と時間。
こわい、こわい。
ここには魂/表現がつたわった!って感じる喜びだけがきっと真摯にあるんだって、きょう思いました。


明治維新を経て、国民一丸で世界一強いと言われた、バルチック艦隊を破って、日露戦争で勝ったあと、その約80年後に、
日本が全世界に戦争をした、あの時代に生きた、紙屋悦子の青春はこういうこと、ってのが、
過剰表現もうそもなく、
静かに熱い心の中にある「あの時代に生きたなにか普遍的なこと」を伝える為だけに、 精神の緊張と緩和で表現される出演者全員の確かな技術によって、
いまもあの時代も本当は望まれる、日常生活で欲しい、真の仕合せへの思いが伝わる1時間45分でした。
こういう表現に出会うと、人生が変わります。


会場で織り込まれた、一枚のお手紙のような、
演出 福沢先生の「ごあいさつ」の一文を下記にご紹介します。


__________________________________________________________________________
私の終戦は国民学校6年生のときでした。
日本の国を護るために、軍人として教育を受けてきた時期です。
戦争は人間が起こしたものです。
たくさんの人間の、命の、死の、上にあるものです。
勝つか負けるか、その途中にスポーツやゲームみたいにルールがあるわけではないのです。
- 福沢富夫
__________________________________________________________________________
あすは最終日、素晴らしい1日でありますように。完売御礼ですね。

そういえば、出演者の方と呑んで、駆け込み終電間際のJR中野駅で偶然、ワーナー井上さんに遭遇。
そういう縁っていいですよね。

2013年10月17日木曜日

これはほんとうの話。"Undefeated"


- Daniel Lindsay, T.J. Martin "Undefeated"(The Weinstein Company.USA, 2011)

「不敗(の男たち)」って意味でしょうか、
ほんとは'underdog'、「負け犬」だったかもしれないのに、
絶対に諦めない強い意志でアメリカンフットボール@ハイスクールの歴史に新たな1頁を作り
アメリカの現代社会のほんとうの話の隙間を突っ切って、
(=非=)常識を覆して、
白人も黒人もわたしイエローも感動させるほんとうの話をつくった男たちの映画。

d.I-SANに教えて頂いてこの映画を体験してから数日。
絶望と同時にほんと真実といいことって、世の中にはあるんだ!ってたくさん泣きました、この映画で起きたことに感じて。
そして、なぜいま、わたしにこの映画が必要だったのかをきっとd.I-SANはきっと知っていたんです。

劇中で、Bill Courtney-SANが言います、
「人間の価値は勝利ではなく、失敗との向き合い方で決まる」、って。

この"Undefeated"をここに記録しておきたいんではないのです、
このドキュメンタリー映画を見て、どうにもこうにもならないことからお願いして、きょう、d.I-SANと会ったんです。
そして、語りました。借りもしました。
「成果の為の本当の努力をしたのか?」って自問自答をしました。
"no hope" "no future" "one dream made them brothers"。

私たちは、「人間の価値は勝利ではなく、失敗との向き合い方で決まる」、って、ことを確認したかったのです、きっと。
あぁ、これ、I-WANと初めて会ったときわたし、教えられていたはずなのに、やっぱりわたしは駄目駄目だなぁ、って。
I-SAN、ありがとうございます、またひとつ、前に進めます。

この映画を見て、思い出した曲があるんです。
この歌詞を2008年のrsrfで袖で目の当たりしてから、脳にこびりついています。


Start Crying,
Stay Alive
Start Crying
Stay Alive
Start Crying,
Stay Alive
Shout louder
Shout louder
Stay alive
-Boom Boom Satellites, 'underdog'("APPLESEED ORIGINAL SOUNDTRACK-COMPLETE EDITION", SME, JAPAN, 2004)


で、さっき10/5のVTRを見直したんです。

涙、涙、涙の人生です。


悔いても戻らない、これは本当の話。
あ、この"不敗の男たち"の話、日本では未公開ですが、オスカーとったそうです、これも"hello world"(きょうの発見)。
これもほんとうの話です。
いろんなことで生かされています、多謝。


2013年10月7日月曜日

友に捧ぐ。


「空海は、のちのかれの行蔵からもうかがえることながら、
自分の行動についてはすぐれた劇的構成力をもっていた。
かれの才能の中でいくつか挙げられる天才や異能のうち、
この点がもっともすぐれたものの一つといっていい。
かれが「三教指帰」という戯曲を書いた男だということを、ここで思い出すべきだろう。
三つの思想の比較と優劣を論ずるについて論文の形式をとらず、戯曲の形を選び、
しかも自分のモデルが登場するという表現形式をとったこと自体、
芝居っ気ということについての天成のなにかをにおわせている。
空海はこの湿沙の上で、
かれの気質と才能からすればごく自然に芝居を構成させたのであろう。
[司馬遼太郎「空海の風景(上)」(中央文庫、1978)、p273]


さらに引用、二十歳の頃、大学生のときに覚えた一行を思い出します、
それはホルヘ・ルイス・ボルヘスの一行、

「意味のあるどんな直截の陳述の一行にも、
あまた意味なき不協和音、言葉の紛糾と矛盾の魂が存在している」、と。

そして、さらに引用、
「ちょっと遠くに目をやりながら、「こういうのはどうだろう」と話を続けるような方法」、とか、 「「いっそ、さぁ」といいだすことが、なんかのはじまり」、って「ぽてんしゃる」でいっていたのは糸井重里さん。
([ほぼ日刊イトイ新聞、2013、p100-101])

昨日、わたしがもっとも大切にしている、最後のライブの現場で、
わたしが勝手に友と思っている、メレンゲのクボくんがなにも惜しむことなくわたしのために、
アンコールであることばを発言し、そして、「願い事」を演奏してくれはりました。
クボ君の魂に触れ合うように、達身さんのギターも鳴り響いていました、クボ君の声のように。
そう、わたしは永くメレンゲの担当をさせて頂いて、クボ君とも実に長い。
だから、少しだけ、彼のことをよく知っています。

一番最初に引用した空海ように、彼は「自分の行動についてはすぐれた劇的構成力をもって」いるのかもしれません、
でも、すごかった、のです、表現が爆発しました。
わたしは現場担当なのに、やっぱり袖で泣き崩れそうになりました。お客さんもたくさん泣いていました。

上のボルヘスが言ったように、「言葉の紛糾と矛盾の魂」の積み重ねが昨日のできごとに数珠つながり、そして、爆発。

夏の始まりのツアー以来、この数ヶ月、嘘と失敗ばっかりで、苦しみは苦しみでしかない、
わたしの気持ちはもはやカオスだったのですが、きのう、ぜんぶが救われました。

わたしはすごく音楽が好きで、その為に生きています。
仕事も家族も生活もそう、
もし仮に納得がいかないことがあってもなんとか生きていく、いやなことのためにいきていません。
だから、思うのです。
24時間経った今もこうして思い出して、きのうのできごとがわたしの救いになったことを、
同時に、
彼のことをいつのまにか友としても大切なひとであるということだけにでなく、
彼自身が力強く、音楽が魂の解放として、日々を送り、
そういう意志で彼が音楽を選び続けていることに、
心から感謝しています。

その場の空気ぜんぶ振るわせて伝わるライブは、あきらかになにかが違います。
ごまかせないから嘘がつけません。そして、
かなりのスキルと間や情感が求められます。
そういうことをまたわたしは教えられました。
これは音楽や音楽家をとりまく人々にとっても同じことです。
いわゆるとりまきが駄目では駄目です、ってわたしが大好きな先輩に言われ続けてきました。
大人として未来へ繋げなければいけないことが、たくさんあるなぁと考えさせられること数多あり。


生きていてよかった、って思えることによって、また、
友に、「「いっそ、さぁ」といいだすことができます。

昨日のできごとのおかげもあって、また日々精進していきます。
ありがとう、クボ君。
「まだまだつづきますね」。

2013年10月3日木曜日

すごい人のすごい話。を読んで。


きょうは長く担当させて頂いた、バンドの撮影または原盤制作にまつわる、最後の現場でした。
この写真のように、いままでもこれからも現場をアイしていきたいなぁ、現場には笑いが突然起こります、その泣き笑いの喜びは、儚くてとても美しいと私は思います。
かつて、Elliott SmithのXoに収録されている、"Walz #1"のピアノと声が鳴った瞬間にいきなり泣かされてしまった自己体験に基づいて、私はそう思います。
きょうの一日のコトは儚くてとても美しいと。

荒俣宏「すごい人のすごい話」[イーストプレス, 2013]をツアー中の先々月末に読み終わって、いま思い出しています。
そして、今日、"元気がでる歓談"を15個、美味しかったなぁ、って実体験で感慨に耽る機会がありました。
実は、本のなかでは、四至本アイさんと荒俣さんの対談にとりわけ興味惹かれて、導かれるままに412頁をあっという間にわたしは楽しく読んでいたのです。
あぁ、なんだかそういう「あっという間に楽しく」時間が経っていく瞬間にとても似たような時間を今日は過ごしました。
いや、つまり、わたしのアイする先輩とN-SANとお酒をずいぶん呑んだなぁ、と記憶しておきたいだけなんですけど。
人の魅力に魅了。

引用します。

「いえ、もうボケ年齢ですから、記憶も不確かなところがあります。
ただ、わたしが100年生きてきて思うのは、今の女性は幸せだということ。
私のように夫にお膳をひっくり返されることもないし、
百連さんのように、望まない相手に囚われることもない。
私、若いころは、明治維新に生まれていたらどんなに面白かっただろうと思っていたんですけど、
いまは、早く生まれ過ぎちゃった、いまなら女でも好きなことができたのに、と思います。」(四至本アイ)
[p.380, 荒俣宏「すごい人のすごい話」、 ibid.」

未成熟な社会では、理不尽なことと悪意(無自覚な自己愛によって、他人に迷惑をかけること)がごっちゃになっているような気が私はしますが、
成熟した人間的な社会では、そういうことはないのだなぁ、と羨ましく思います。
N-SANと話していると、こう思うのです、
悪は滅びるし、正義は勝つのです。
アイは勝つのかなぁ。

振り返って、(100歳オーバーの四至本アイさんの話をしながら、当時(1992、バルセロナオリンピック)14歳のスイマー岩崎恭子さんの「今まで生きていた中で、一番仕合せです」発言をクロスオーバーしています)
家族のような、アイに満ち満ちた日々でした、まだわたしは40ですが、きょうのことも、一生忘れない。ありがとう。

そんな日の、きょう、16:19に東京にも虹がふたつ、または、
ワインとかビールじゃなくて、やっぱり焼酎ボトルだった、今日のこと、とてもうれしかったなぁ。
いくつか不具合があっても、"元気がでる歓談"の毎日がいい、のです。

世の中にはすごいひとのすごい話がいっぱい本当はあります。

2013年9月13日金曜日

はじまりを繋ぐ。


"The mantis pauses for a moment in its journey to bless those it encounters."

20110311-0911=2年半。

芝居っけ、たくさん。そんな生き様を描いていくことであれば、きっと楽しいです。

先日、WMJの井上さんと呑んでいるとき、
「友としていいますが」、ってことばが井上さんからわたしに鳴り響きました。

あまりにも突然で、あまりにもずばっと、
お互いずいぶん酔っぱらっていたのものですから、とにかくわたしはとてもうれしかったのです。

そして、ずいぶん長く、
とある、「おわり」について話していました。
すると、
とある、「はじまり」について話すことになりました。

でも、井上さんにとってもわたしにとっても、「はじまり」はまだ何かしら「おわり」よりもふわふわしているようで。

ふわふわといっても、
たとえば、夢というのは、まぼろしではなくて、人を駆り立てるなにかであることとして、ありたい、とか。
そして、わたしたちが関わっている仕事も、人を仕合せにするかもしれない、そういうなにかでありますように、とか。
そういうふわふわとふわふわの話だったでしょうか。
ぐにゃっとしていても、実は具体的な解決を導くものってあるような気がします。

もうすぐ5年にもなりますが、生前の今村誠さんの言葉も今、鳴り響きます。
たしか「明日の神話」の衣装を彼が作ったあと、その勢いに乗ってなぜかわたしとまた、
さらに懸命に地獄のような天国のような時間を過ごし、寝ずにずっと一緒に働いているときでした。
年の瀬、凍える寒さの中、深夜3時すぎ、
外苑前の事務所駐車場の倉庫で、埃まみれの倉庫の中の真っ新な物販のTシャツを漁っているときでした。
「好きなことやりなよ、なんでも応援するからさ」って、、
Tシャツ数えて、紐で縛って、また紐をばらして、丁寧に整頓しながら、笑っていました。



あと1ヶ月。
わたしは、今の任を解かれます。
今の任は会社ではずいぶん孤独だったけれど、一方で本当の身内のたくさんの人に励まされてきました。
多謝。

だから、わたしはずいぶんとくよくよしないでいきてこれたのかも。

「友としていいますが」、この言葉をわたしはどうしても伝えたい友がわたしにもいます。

「いのちはただひとつのほんとうの魔法」ですよね。

2013年3月25日月曜日

きょう、steve kimock行きました!
わたしのほんとのほんとの楽しい事ってこれ!って、感じた一日でした〜

先の震災から2年を経て、まだまだ日々精進が足りない、です。
だからもっと頑張らな、と強く思う一日でした〜
すごいいい音楽を体験すると、とてもいいです。ほんとに。
最近、ずっと晴れない、芽が出ない日々が続いているので、なおさら、きょうはいい日でした。

オンガクはわたしにとっては特別で、
ココロとカラダに日々のくだらない生活の中で一瞬だけ打上る、花火、それがオンガクなんです、わたしにとって。
本来、そういうシゴトにここ数年関わっているにも関わらず、
どれだけ自分の精進によってそういう音楽的仕合せを共有できる場を作れているのかが、いちばん大事なんです。。。

日本のオンガクだから、タイアップ曲だから、シングル曲だから、等と一般常識に囚われて、
面白くないオンガクを作る事に加担しているような気持ちに最近わたしは、なってきました。
それは、タイアップが悪い訳でも、シングルが悪い訳でも、日本の音楽が悪い訳でもないのです。
そういう仕事に関わるときのミュージシャンやその取り巻きの、そもそも音楽ってなんだっけ、というほんとのほんとの意味を忘れたわたしの行動が悪いのだと思います。

人生の大先輩に頂いたメールをここにコピペして、わたしはしっかりと記憶しておきたいです。
「今まで色々、有ったとは思いますが、良い感じになっているのではと思います。
妙にあせらず、タイミング良く、自らの世界を追求して欲しいと思います。」