2015年3月12日木曜日

after 2015.3.11



4年ほど前の日記では、このようにわたしは書いてました。

「わたしの人生の心の師匠が、4年前に言っていました。
無理せず、楽せず、一歩一歩前向きな理想に向かって、元気にやりましょう!と。
今までなんとなく生きてきたけれど、
自分のこころに従って、生きるようになって、
はじめて、運命から解き放たれる、
そういうことってあるのです。」

自分でもわかったようなわかってないようなことを言っていることをなんとなくふぁーと自覚しているのですが、
きょう、はっきりと自覚したことがあります。

14:46に黙祷をしていたとき、
この世に生き残ってるじぶんって嬉しい、そうだ!助けられた!真の友に!真のミュージシャンに!真のエンジニアに!家族に!、あーそうだった!という気持ちがギュンって飛び込んできて、
やっぱり何があっても元気に生きよう、って自覚しました。

そして、安くて美味しい夕飯をめちゃくちゃ楽しい仕事仲間と食べているときに、
ふと、
あぁーこのお肉で大盛りのご飯をガシガシ食べてる家族の姿を生で見てみたいなぁー、とか、
だから、シゴトがんばらなきゃー、みたいな、(シゴトを頑張る理由はもちろんそれだけではなく、やりたいことがいっぱいあるからなのですが、、)
とにかくそんな風にして、「一歩一歩前向きな理想をじぶんで作っていきたい」、と強く思ったのです。

そういえば、14:46に一緒に黙祷する(楽しいだけでない真剣な)仕事仲間がいることはそれはそれで救いなのだ、とも強く思いました。


「侘び・数奇・余白 - アートにひそむ負の想像力」をちゃんと再読しなきゃ、です。