2016年6月2日木曜日

"My mind is spinning round and around I nearly touch the higher ground this is so real, no one can heal I'm in a daze, in a haze So loaded, we walk alone Loaded, we walk alone So loaded, we walk alone Loaded, we walk alone So loaded, we walk alone Loaded, cause here I come"

誰にもいえないこと。

それはいわゆる「これは墓場まで内緒にします」みたいなひみつではなくて、
わたしの心の奥の、さらにその奥にある、こと=誰にも言えないこと。

じぶんがどうにもこうにもだめなことをじぶんがしちゃって、
さらにわたしはひどいことに、それをだれか(世の中)のせいにして、
その結果、
だから、
なんだかとても苦しんで(苦しませて)、
悩んで(悩ませて)、
そういう心の奥の、さらにその奥にあることにだどりつけそうでつけない、心の奥のこと。
でも、なんどか、どうにもこうにもだめなことを克服しようとする、
そういう、螺旋状のぐるぐるくるくるループ。

そういうことがいま、ちゃんとしようとすることができるのは、
なにかをきっかけにその苦難を受け入れたり、逃げたりしたけど、また受け入れたりする、そういう内的要因から起きる行動を知ることができた、そのおかげなんです。

その「おかげ」が、誰にも言えないこと(感謝)になっています。

また、こうやって、じぶんのことしか感じられていない、じぶん。。。

「まっとうな人間になりたい」
「すきなことと絶対に繋がっていると感じていたい」

きょうは、そんなことばを強く思い出した18時間でした。

季節外れのひんやりした風がびゅんびゅん、
夕方の空が悪魔の空みたいになって、
泣きそうになって、あくまがきた!とか(心の中の)だれかが言って、
そのことばに意外に笑いが起こって、嬉しくなって。

そして、
「だれかの力になりたい、と思ったときに、じぶんに力がなかった、としたら残念だろう?」
わたしも、本当にそうおもいます。

緊張と緩和と、静かな瞑想と衝動的な肉体鼓動が極稀に同時に起きた日々。
見たこともない世界を見ている(見ていたように)、今も感じています。
だから、ただただ涙がとまりませんでした。
その衝撃はかけません。
でも、じぶんなりにちゃんとこれだけは書き残しておきたい、 ずっと、これからも、ずっと感謝、なんです。