2013年10月3日木曜日

すごい人のすごい話。を読んで。


きょうは長く担当させて頂いた、バンドの撮影または原盤制作にまつわる、最後の現場でした。
この写真のように、いままでもこれからも現場をアイしていきたいなぁ、現場には笑いが突然起こります、その泣き笑いの喜びは、儚くてとても美しいと私は思います。
かつて、Elliott SmithのXoに収録されている、"Walz #1"のピアノと声が鳴った瞬間にいきなり泣かされてしまった自己体験に基づいて、私はそう思います。
きょうの一日のコトは儚くてとても美しいと。

荒俣宏「すごい人のすごい話」[イーストプレス, 2013]をツアー中の先々月末に読み終わって、いま思い出しています。
そして、今日、"元気がでる歓談"を15個、美味しかったなぁ、って実体験で感慨に耽る機会がありました。
実は、本のなかでは、四至本アイさんと荒俣さんの対談にとりわけ興味惹かれて、導かれるままに412頁をあっという間にわたしは楽しく読んでいたのです。
あぁ、なんだかそういう「あっという間に楽しく」時間が経っていく瞬間にとても似たような時間を今日は過ごしました。
いや、つまり、わたしのアイする先輩とN-SANとお酒をずいぶん呑んだなぁ、と記憶しておきたいだけなんですけど。
人の魅力に魅了。

引用します。

「いえ、もうボケ年齢ですから、記憶も不確かなところがあります。
ただ、わたしが100年生きてきて思うのは、今の女性は幸せだということ。
私のように夫にお膳をひっくり返されることもないし、
百連さんのように、望まない相手に囚われることもない。
私、若いころは、明治維新に生まれていたらどんなに面白かっただろうと思っていたんですけど、
いまは、早く生まれ過ぎちゃった、いまなら女でも好きなことができたのに、と思います。」(四至本アイ)
[p.380, 荒俣宏「すごい人のすごい話」、 ibid.」

未成熟な社会では、理不尽なことと悪意(無自覚な自己愛によって、他人に迷惑をかけること)がごっちゃになっているような気が私はしますが、
成熟した人間的な社会では、そういうことはないのだなぁ、と羨ましく思います。
N-SANと話していると、こう思うのです、
悪は滅びるし、正義は勝つのです。
アイは勝つのかなぁ。

振り返って、(100歳オーバーの四至本アイさんの話をしながら、当時(1992、バルセロナオリンピック)14歳のスイマー岩崎恭子さんの「今まで生きていた中で、一番仕合せです」発言をクロスオーバーしています)
家族のような、アイに満ち満ちた日々でした、まだわたしは40ですが、きょうのことも、一生忘れない。ありがとう。

そんな日の、きょう、16:19に東京にも虹がふたつ、または、
ワインとかビールじゃなくて、やっぱり焼酎ボトルだった、今日のこと、とてもうれしかったなぁ。
いくつか不具合があっても、"元気がでる歓談"の毎日がいい、のです。

世の中にはすごいひとのすごい話がいっぱい本当はあります。

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